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タペストリー作家 陶山千代のヒストリー
タペストリー作家の陶山千代は、福岡市出身です。武蔵野美術短期大学デザイン学科を卒業後、オーストラリアに留学し、毛に含まれている獣脂を抜かない「未脱脂羊毛(みだっしようもう)」に魅せられ、タペストリー作家として歩み始めました。
タペストリー作家として活躍する一方、ペット(犬、猫、ヤギなど)の毛を糸に紡ぎ、マフラーなどの作品に織り上げる活動にも取り組んでおります。
陶芸家を志した日々
高校を卒業後、東京の武蔵野美術大学短期大学に進学し、デザイン学科の陶芸を専攻いたしました。
生い立ちの環境には芸術性の高い様々な窯元の焼き物が日常にあったためです。
また、その頃は女性が陶芸家になるのが少しかっこよかった頃でもあります。
卒業制作で手掛けた陶器の作品が評価されたこともあり、卒業して半年後に九州の日展作家の窯元に意気揚々と弟子入りしました。
しかし、修行を続ける中、徹夜続きの窯焚き、水分を含んだ土の重さ、作家として大作に挑むには男性に負けない体力が必要なことを痛感させられました。
はたして生涯を通じて行える活動なのか。自問自答の末、陶芸家の道を断念いたしました。
織物の魅力に惹かれて
あるとき、染織にかかわる1歳年上の女性から、「川島テキスタイルスクール」と名のつく染織の技術学校を教わりました。
京都市の郊外に設立された学校は設立されて2年目の学校でした。
一般的な専門学校のような入学試験もなければ、単位制度も設けていない学校で、とにかく「手織りを学びたい」と志す人のための学校でした。
入学後は寝る間を惜しんで制作に取り組む日々でした。
芸術家集団のリーダー
川島テキスタイルスクールで織物に関する基礎をじっくりと学んだ後、地元福岡に戻り、タペストリー作家として「糸を使った造形」に没頭していきます。ファイバーアートと呼ばれる、糸や布を使って表現する芸術の黎明期でもありました。福岡で芸術活動を続けていくうちに、染織に関する現代アートの環境が希薄なことに気づきました。そこでまずは、地元の川島テキスタイルスクール卒業生に声をかけ、「ファイバースペースふくおか」という染織家の集団を創りました。
オーストラリアとの出会い
1976年の9月、設立されたばかりの「豪日交流基金」をオーストラリア政府から受け取り、オーストラリアへ赴きました。
羊毛についての知識を深めたいと漠然と思っていた頃にタイミングよくいただいたお話でした。
詳細を聞くと、1業種1人の留学生しか受け入れないとの話で、申請書を緊張した気持ちでオーストラリア大使館へ提出したことを覚えております。
数ヶ月後、渡豪許可の承諾書と留学費明細を受け取り、無事渡豪することができました。
オーストラリアの地で羊との出会いや数々の経験を積ませていただきました。
未脱脂羊毛(みだっしようもう)ルート開拓
作品に使用している素材に「未脱脂羊毛(みだっしようもう)」があります。
羊の毛には多くの獣脂が含まれておりますが、この脂を抜かない、刈り取ったままの羊毛をこのような呼び方をします。
市販の羊毛の大半は、薬品などを使用してこの脂を抜きます。それは、脂の含みが1頭1頭違う羊の毛に染織や品質において均一性を持たせるためです。
未脱脂羊毛(みだっしようもう)は、化学処理をしていないため、素材の堅牢度が保たれ、脂分がある分、身に着けるととにかく暖かい性質があります。
脂分は防水にも役立ち、水気をはじくので、英語では「バージンウール」や「オイルウール」とも呼ばれます。
生のままの素材は人肌にも優しく、その証としてオーストラリアでは生まれたての赤ちゃんに敷物として子羊の毛皮を贈るほどです。